そのためワールドとは名ばかりで実質的には南米王者決定戦のようなものでした。
その後も様々な理由によって強豪国の不参加が相次ぎ、名実ともにワールドカップといえるような大会となったのは、1954年に行われた第5回のスイス大会が最初でした。
今回取り上げる試合は、そのスイス大会準決勝ハンガリー代表VSウルグアイ代表戦です。
当時のハンガリー代表は、「渦巻き理論」を基にしたトータルフットボールの原型ともいうべきサッカーで戦っていました。
1950年6月のポーランド戦以降4年間無敗という驚異的な記録を残し、W杯スイス大会の優勝候補筆頭と見なされていました。
ハンガリー代表の名声を決定づけたのが、1953年11月25日に行われた、英国チーム以外にはホームで負けなしだったイングランド代表との試合です。
このときのイングランド代表は「伝説のドリブラー」サー・スタンリー・マシューズというスーパースターを擁しており、サッカー母国にして世界最強国を自認していました。
けれどもハンガリー代表にはまるで歯が立たず6−3と蹴散らされています。
その翌年の5月23日にイングランド代表は、ハンガリーの首都ブダベストへ訪れ、母国のプライドを懸けたリベンジマッチに臨みました。
このチームには前回の対戦では欠場していた、マシューズと並び称された「天才ウインガー」トム・フィニーも加わっています。
しかし、ここでもイングランド代表は7−1と完膚無きまでに叩き潰されます。
トム・フィニーはのちに「あの試合は馬車馬とサラブレットがレースをしていたようなものだった。」と語るほどの惨敗でした。
人気blogランキングへ
対するウルグアイ代表は、1950年第4回W杯ブラジル大会で優勝したディフェンディング・チャンピオンでした。
政治的理由などにより第2回、第3回大会には不参加でしたが、出場した第1回、第4回大会では優勝し、このハンガリー戦までW杯では無敗というとてつもない成績を残しています。
ハンガリーが第1回、第4回大会を欠場していたことから、この2チームにはW杯での対戦経験がありません。
それためこの試合は南米最強国VS欧州最強国がサッカー史上初めて激突した試合となりました。
具体的な戦術分析は後篇でやります。
人気blogランキングへ
【関連する記事】